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田原総一郎と2人の妻と乳癌


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ジャーナリストの田原総一朗氏。

2度の結婚歴があるが、2人の妻を同じ乳がん、という病気で失った。

1人目の妻:44歳で乳がん発覚。
医師は乳ガンについて入院と手術をすればあと5年は生きられるだろうと言った。
放射線治療やリンパ療法、丸山ワクチン、ありとあらゆる治療を試したが、
根本的な解決にはならない。
手術後、5年は大丈夫と言われていたのに、わずか2年半で、ガンは再発してしまった。19839月、腸を切り取るために行った手術後の麻酔から、目が覚めないまま、亡くなった。享年54歳。

2人目の妻:炎症生乳ガン。悪性中の悪性。
抗がん剤治療を三ヶ月3クール。入院も3ヶ月。

前妻の時よりも、いっそうヘビーだった。あまりにも重い治療に、妻は「本当の病名を教えて」と詰め寄るが、田原は口を割らなかった。1999年、妻は乳房を摘出し、腹直筋の一本を移植する大手術を行う。

     
     

手術してなお、節子のガンは半年後に再発し、脳にも骨にも転移した。
しかし節子は諦めず、ガン患者のシンポジウムに登壇したり、娘と旅行をしたりと、命に生きる事を楽しんだ。

とくに重要なのは頼りになる主治医にめぐり合ったことだ。聖路加国際病院の中村清吾先生である。

中村先生は非常に有名な名医で、現在では中村先生に担当していただくのはほぼ不可能だそうです(友人談)

最初に彼女を診た医者は、余命は6カ月程度と見ていた。しかし、結果的に彼女は6カ月ではなく6年も生きた。

中村先生という素晴らしい主治医にめぐり合い、がんの再発はあったものの、一進一退を続けながら、小康を保っていた。
しかしガン発覚後5年ほどで、脊髄や脳への転移が見つかり、車椅子の生活     を余儀なくされた。
(車椅子か松葉杖に頼らないと、どこにもいけない体になった。がんが脊椎と腰椎に転移し、それがもとで歩行が困難になってしまった)

この文章は、複数の田原総一朗氏へのインタビューを総合して再構成しました。

友人たちの感想
・がん治療は、精神状態も大きく治療に影響すると聞いたことがあるが、
やはり良い医者に巡り合うことが重要なのだと感じた


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